日本唯一の現代文専門の書道教室


うどよし書道教室は現代文の書道「和様」を教えている日本唯一の書道教室です。
そのため、教室のある文京区の生徒より、遠くから通ってくる生徒が多いです。
さらに、訪日外国人も多く年間200名ほどいらっしゃいます。
ここで、私達の活動や考え方を長いですが紹介したいと思います。

え?それも書道ですか?


書道は一般的に「墨を付けた筆で和紙に文字を書く」ことだと思われています。
うどよし書道教室は現代文の手書き」という要素(縛り)だけ残して、それ以外は自由度が高いです。
墨を使う生徒もいれば、アクリル絵の具の生徒もいます。
手書き文字をデジタル化して動画を作成する人もいます。
友人や企業から書を頼まれた作品を作っている人もいます。
難しい読めない書道だけが「書道」ではないのです。

日本の書道に”日本語がない”違和感


私が現代文の和様に取り組むキッカケは、日本の書展なのに日本人が読める日本語の書作品が全くなかった経験からです。
ただ、同じ疑問を持った人はたくさんいたはずです。
おそらく全員が「好きなことは基礎をやってからやりなさい」と指導され、そのうち断念したのだと思います。
私は子供ながら”日本語の書道の価値”に気付いていたことや周囲に恵まれて活動できたレアな存在です。
指導側にいる今だから言えますが「基礎をやってからー」という指導は嘘です。
今、書道業界で自己表現を目指す人はゼロと言う現実を見ると「わからないから教えられない」のだと思います。
なんとなくですが、昭和末頃から書での自己表現は”悪”となった気がします。

日本語を手書きできない日本人


主要美大には”書道科”がありません。
偶然ではなく「書ハ美術ナラズ論争」(明治15年1882年)で
「美術は科学的表現(写実)、書道は個性的表現※」
など紆余曲折あり、書道は美術から除外→教育学部の歩みを経た結果
「美術は多様性・個性を重視、書道は画一化・個性を排除」
140年前と真逆になりました。
これは、明治以降の教育が個性より集団を優先する「効率化(≒画一化)」教育の成果です(良い面もある)。
幼少期から手本通りに真似ることが「良」とする書写教育(個性排除の刷り込み教育)を受けた結果、毛筆で自分の言葉&スタイルで日本語をかけなくなりました。(ペン字も、そうなるかも)
これが数世代に渡って行われた結果、難しい漢文、古文を自由に書ける国内トップクラスの書家でも、現代文になると全く書けなくなりました。
四国新聞社 小山正太郎「北条時頼像」岡山大学文学部助教授・鐸木道剛 西洋は写真の発明等で抽象する(浮世絵のあった日本は文化先進国)

“キレイな字”は、本当にキレイ?


“刷り込み”は「最初に見たものを親だと思い込む現象」などで知られる動物行動学の1つ。
みなさんは「楷書(美文字)はキレイな文字」と”刷り込み”された可能性を疑ったことはありますか?
みなさんが知っている“キレイな楷書”は、外国文化の初唐の三大家(欧陽詢、虞世南、褚遂良)のデザインがベースです。
大手書展に行くとわかるのですが、キレイな楷書は最も不人気で、ほぼありません。
書写教育で”キレイな字”とアピールしている楷書が、書道業界内では不人気(≒美しくない?)です。
もしかしたら、多くの日本人が「楷書はキレイな文字」と刷り込まれただけかもしれません。
日本の文字史では、和様が誕生した国風文化以降の約1100年で、楷書が主なのは明治以降の150年だけです。

「キレイな字じゃないとダメ」をなくしたい


SDGsなどの影響で、メディア、SNSなどでもダイバーシティ(多様性)を支持する声は年々高まっています。
前述したように、江戸時代は多様性があった書(手書き文字)は、旧西洋文化の影響で多様性を認めない「キレイな字じゃないとダメ」という偏見があります。
文字は情報技術なので共通の書き方ルール(字体)の習得は必要です。
でも、3歳児がタブレットでキレイな文字が入力できる時代に、外国文化の楷書の”はね、はらい”等の文字飾りにこだわり、書写や書き方テスト等で画一化するより、自分の個性を伸ばす現代アート(日本的には江戸時代に戻す)に寄せた方が自然と考えます。
うどよし書道教室が、従来の昭和の書道教室スタイルではないのは、「書道」※が誕生した明治以降から再構築を目指した新しい取り組みを行っているからです。※「書道」という単語の明治30年以前の使用は未発見です。

体験教室に申し込む 料金

現代文には”書道のアプローチ”が通用しない

書道には絶対的練習法「臨書(古典の写し書き)」というものがあります。
誰にでも読んで鑑賞してもらえるメリットがある現代文の書作品がない現実をマーケティング視点で見たら、“現代文の習得に臨書は通用しない”可能性を排除できません。
例えば、殿村藍田(2000年没 読売系 謙慎書道会)氏は、漢文も古文もトップ評価の珍しい書家ですが、現代文は残せていません。
現代文の書表現には臨書以外のアプローチを試みてみるべきだと考えます。

現代文は”現代にしかない”新しい日本語


国語のテストで散々やってきた現代文ですが、現代文の成り立ちを知ってる人はほとんどいません。
例えば、現在の50音図は、活版印刷のために明治33年(1900年)に統廃合、リデザインされた人工的な文字ということを知っている人はほぼいません。(この分野の研究者がいないのだから、誰も知らない)
現代文は名前の通り”現代にしかない”日本語なので、筆で書かれた歴史がありません。
つまり、現代文を筆で書きたいと思っても、漢文、古文のように参考資料がありません。
自分で考えた現代文と1000年以上の歴史を参考に書いた漢文や古文と比べると見劣りします。
独自表現を模索せず、臨書に依存してきた多くの書家は、現代文を諦めて漢文、古文に戻っていきました。
小学生から漢文、古文の書道を刷り込まれ、多くの時間とお金を投資したサンクコスト効果のある人には、なかなか受け入れにくい現実だと思います。

現代文の伝統文化を作るのは私達


現代文に向いている人は誰かというと「字を書くことが好き。でも、習字はあまり…」というような手書きライト層です。
ここまでこの長い文章を読んでくれたあなたはフィットする可能性が高いです。
自分たちが新しい日本文化を作る機会やカテゴリを見つけることなんて、まずありえません。

現代文の和様「日本一が世界一」の現代アート

「主要美大に書道科がない」と書きましたが「チャンスかも?」と感じた人はいますか?
現在、現代アートは、飽和状態(レッドオーシャン)で、独自表現が大変難しいです。
しかし、書道が美術から排除されたことで日本の書道業界は多様性のない旧西洋美術の価値観で止まっています。
日本人全員が読める“現代文の和様”というマジョリティなカテゴリが未開拓(ブルーオーシャン)で残っているなんて、現代アートの世界からみてあり得ない、夢のような市場です。
しかも、現代文は日本にしかない「日本一が世界一」という現代アート市場なのです。

楽しく使っていく事が大事


従来の古文、漢文の書道と現代文の和様が大きく違う点は、誰でも読めるということ。
“読める”と言うシンプルな違いで従来の書道には全くなかった新しい考え方、アプローチが生まれています。
ファッション、キッチン、リビング、トイレ、メモ書きなど、いろいろな場面で使えます。
今後、どんどんデジタル化が進み、世の中フォントだらけになればなるほど、アナログの手書き文字の力、価値は高まります。

体験教室に申し込む 料金

生徒作例

経営している飲食店のテイクアウト用の包み紙のデザインです。絵は適当に描けるのですが、文字部分がどうしても弱くて、相談したら指導してもらい、あっさり完成しました。
毎年、自家製する複数の果実酒のラベルに挑戦しました。書道を始めた頃は、こんなことになろうとは…。隣のグラスは同教室の先輩生徒が作成した「濃く割るグラス」。この言葉センスはヤバイ。
 
作品展に別の暖簾を出品しました。すると、それを見た友人から「作成をお願いしたい」と相談がありました。
1歳の孫へバースデープレゼント。ア想いがどんどん形になっていく過程が魔法。完成作品は書道っぽくないのに構成は書道要素だらけです。
お礼に添えるポストカードです。当初、印刷予定でしたが、コーヒー部分はホンモノのコーヒーを使いたかったので、ササッと手書きしました(20枚程度なら印刷より早い)。
うどよし書道教室が契約の縫製担当にオーダーメイドのオリジナルバッグを作成。「じゃぱにーず かりぐらふぃー(和様の意味) 」をペイント。6時間ほどかけて作ると手書きには見えないクオリティになります。

楽しまなくちゃ!

いろいろな企画、イベントを実施していますので、一部を紹介します。
・公募書展への参加(年1回ペース わよう書道会)
・書展見学会(不定期)
・懇親会
・イベント参加(メディア撮影、イベント時の参加)
教室中や終了後に飲食も可能
もし、ご興味がありましたら、まずは体験教室をお申し込みください。

体験教室に申し込む 料金

PAGE TOP